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Wizardryは日本のコンシューマ層を再教育した

公開:2007年01月25日

こないだの「3DダンジョンRPGは死んでないよ。進化しただけだよ」のつづきというかおまけで、なぜWizardry、とくにファミコン版Wizardryは、日本のコンシューマ層に大きな影響をあたえるに至ったのか、というお話。

堀井雄二が、ドラゴンクエストI〜IIIを使って、RPGとはいかなるものであるかを、日本のコンシューマ層に教育したことはよく知られている。(代表的な要素が、Iの1人制→IIの決め打ちパーティ制→IIIのキャラクターメイキング式パーティ制)

DQは、Iが1986年5月27日、IIが1987年1月26日、IIIが1988年2月10日に発売されているが、ファミコン版Wizardryが発売されたのは、DQ IIIの発売前夜と言ってよい、1987年の12月22日。つまり、ロト三部作を使った、堀井雄二の、「RPGとはこういうものだ」という教育がまさに完成する直前に、「ちょっと待ってくれ、これこそが本場のRPGなんだ」と異議をとなえたのが、アスキーのファミコン版Wizardryだったことになる。ファミコン版WizardryはDQに対するカウンターパンチであり、アンチテーゼだった。

Wizardryは、ドラゴンクエストと異なることが一目で分かる、疑似3Dによる一人称視点のマップと、DQ IIIで導入予定のキャラメイクのシステム、そして、ユーザーがドラゴンクエストで馴染んだ、しかしより高度な(あるいは、複雑な)ターン制戦闘のシステムを備えていた。ユーザーは目新しい要素を喜びながら、DQより拡張されたシステムを楽しめたことになる。

FC版Wizは、ソフトウェアとしての完成度が高く、末弥純によるモンスターのグラフィックと、羽田健太郎によるBGMも素晴らしかった。当時、マイコン版のWizardryを持っていたユーザーで、FC版Wizを羨ましく思わなかった人間など、ひとりも存在しなかったと断言してもいいくらいだ。

キャラクターメイキング式のパーティ制を、DQ III直前に提供できたというタイミングも良かった。おまけに、「WizのシステムはDQのパクリではありません。歴史的にはこちらが正統なのです」と、DQが築いた「RPGの代表格」という名声を、言葉は悪いけど、うまいこと横から奪うことができた。これが理由の一。


しかも、Wizardryの再教育の仕方たるや、DQがお花畑に思えるほどのスパルタ式だった。順次セーブ式で、失敗しても(基本的に)やり直しがきかないうえに、「かべのなかにいる」だの寺院で復活できずにロストだの、Wizというゲームは、DQよりはるかにトラウマチックだった。

実際のところは、CRPGの最初期であったために、極端なゲームバランスになっていた側面も否定できないのだが、ともかくWizardryの冷酷さというか無慈悲さは、「これが本場のRPGなんだ」という感想とともに、日本の少年少女たちの胸に深く刻まれることになる。これが理由の二。


ファミコン版Wizardryは、ドラゴンクエストでRPGというジャンルを知ったコンシューマ層を、はげしく再教育した。そして、再教育に使用されたのが、「DQはヌルい。Wizこそ正統だ」「世間一般ではDQをRPGと呼んでいるが、それは正しい知識がないからだ。違いのわかる人であれば、Wizこそ正統なRPGであることがわかるはずだ」というレトリックだった。子供時代、このレトリックを純朴に信じた少年少女たちの存在が、現在の日本における、一種懐古的なWizクローンの繁栄につながっているのではないだろうか。

もうひとつ、上のレトリックがアピールしたのは、コンシューマのなかでも、DQよりも狭い、しかし尖った層のユーザーであったはずだ。そういう尖った層のユーザーは、そうでないユーザーよりも、ゲーム開発者になりたがる割合が高かったんじゃないだろうか。日本のゲーム市場におけるWizクローンの繁栄には、もしかしたら、ユーザーがそれを望んだ以上に、開発者の側が「正しいRPGのありかた」としてWizを希求したから、という理由があるのかもしれない。

参考

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