どきどき☆スイーツ・パニック(その3-2)
公開:2011年05月31日「ねえ、レム。面白いよ。蘭のことが出てくる」
この日、レムは、持ち込んだ大量の化粧品と化粧道具を駆使して、蘭の顔色をなんとか健康的に見せようと頑張っていた最中だったので、そうデスか、と生返事をしただけだった。
「これ、中等部一年のときの記録だ。すごいじゃない。学園の水問題に貢献した天才児って書いてある。べた褒めだよ」
「先生がいらっシゃった頃の記録デスからね」
「先生?」
「この学園には、クスノキが師と仰ぐ先生が在籍シていたのデスよ。クスノキはその方の元で学ぶために、この学園に入学シたのデス」
極端に短い蘭のまつげを綺麗に持ち上げようと、さっきからビューラーを片手に悪戦苦闘していたレムが、頭を上げて、記憶をたどるように遠くを見やった。
「なにしろ歴史の古い学園デスし、おまけに生徒の数が数デスから、ワタシが中等部に入った頃、学園の下水システムは、すでに限界を大きく越えていたのデス。中等部の校舎や南寮でも、排水口があふれて汚水が逆流するなんてシょっちゅうでした。設備の古い北寮や大学側は、もっと大変だったそうデス。
でも、ミナツさんもご存じの通り、この学園の地下には<迷宮図書館>が眠っています。どこでも自由に掘り返シて、下水を新設するわけには行きません。かといって、今ある下水を改修するには、いったん使用をストップする必要があるから、それも難しくて。
そんなとき、クスノキが、大規模な工事を必要とせず、既存の下水溝を生かシたまま、短期間で問題を解決する画期的な方法を考案シて、学園の老朽化した下水道システムを救ったのデスよ」
「……どんな方法?」
「さあ。具体的な方法は一般生徒には秘密でシたから。当時ワタシは生物部ではありませんでシたし」
レムは、長い上半身をいっしょに傾けながら、突風に吹かれたキリンのように首をかしげた。
「ともかく、生徒会がクスノキを厄介者扱いシながら、いまだに放校できずにいるのは、この時の貢献が非常に大きかったからデス」
「その先生は、今……?」
「いらっシゃいません」レムはため息をついた。
「生徒に理由は知らされなかったのデスが、突然学園から姿を消してシまわれたのデス。理由が知りたい、せめて行き先だけでも教えてほシいと、クスノキがすごく頑張っていたのを覚えています。生徒会との衝突もその頃からデスね」
「じゃあ、もしかして、蘭が生徒会を嫌いなのって――」
「あの時取り合ってもらえなかったのが関係シているのだと思います。でも、クスノキは、生徒会が、もっと深いところでこの件に関わっていたと思っているようデスが」
「というと?」
「クスノキは、先生は学園生徒会によって職を追われたと信ジています。そして、その理由は、<能力者>の人たちが、先生の研究を疎んだからだと」
「それは……なにか根拠があるの?」
「分かりません。ただ、先生の研究が、<能力>に関係シたものだったことは確かデス。<能力>の開発だったとも、逆に無効化とも言われていて、ワタシはよく知らないのデスが」
レムは、小さな変人少女の乱れた毛髪を、愛おしそうにゆっくりと撫でた。
「すくなくとも、先生がずっとこの学園にいらっシゃったら、クスノキは今とは全く違った生徒になっていたでシょうね。きっと品行方正な天才児とシて、全校生徒の尊敬を集めていたと思います」
品行方正な天才児――?
レムの言葉を聞いたとき、実夏の頭に浮かんだのは、髪をきちんととかし、清潔な肌をほのかな桃色に上気させ、ぱりっとした白衣をまとい、難しそうな本を小脇に抱えて、周囲の女性徒から羨望のまなざしを送られる蘭の姿だったが、どう考えてもそれは悪い冗談以外のなにものでもなかった。
転入以来、彼女に振り回され続けてきた実夏にとって、楠木蘭は、いつも不機嫌で不健康で、奇異と恐怖の視線で遠巻きに窺われ、サイズの合わない薄汚れた白衣を引きずりながらさまよい歩く、小鬼か悪鬼だった。
そして、レムは、膝に乗せた蘭の頭を撫でながら、
「でも、そうなっていたら、ワタシがこうしてクスノキのそばに居られることもなかったでシょうけど――」
と、すこし寂しそうに呟いて、実夏は、手伝いを頼むタイミングをまたしても失ったのだった。
夏休み最初の一週間は、そのようにして、同じ部活であり同じ部屋にいて運命共同体であるはずの三人からまったく助けてもらえないまま、山と積まれた書類を朝から晩まで整理するだけで終わった。
実夏はときどき、この三人は、体育祭の一件の幕の引き方に関して、それぞれ別の理由で自分を恨んでいるのではないかと思うことがある。面と向かって確かめたことはないし、そもそも恐ろしくて訊く気になれないけれど。
生物部を雑事で忙殺しようとした副会長の企みは、状況だけを見れば失敗していた。実夏以外の三人は、あきらかに暇を持てあましていたからだ。蘭はあいかわらず呆けていたし、レムはかいがいしく蘭の世話を焼き、千世は窓枠に腰掛けるいつもの定位置で、窓の外を眺め続けていた。
しかし、副会長の最大の目的が実夏を困らせることにあるのははっきりしていたので、どちらにせよ、状況を知れば、彼女は大喜びしたに違いなかった。
そして、実夏は、副会長が自分たちの状況を正確に把握していると確信していた。どうやってかは見当もつかないけれど、副会長はそういう女性であり、生徒会執行部にはそれだけの力がある。
